芳泉寺は真田信之(幸村の兄)の
菩提寺です。

正室小松姫の菩提寺でもあります。

小松姫の墓は上田市の史跡に
指定されています。

芳泉寺の場所と小松姫の墓



芳泉寺は上田城の西側
約400mにあります。

拝観料は志納です。
駐車場はありません。
年中無休で、日中に拝観させて
いただけます。

  


芳泉寺入り口は簡素な感じですが、
階段を登り、門をくぐると立派な本堂が
あります。

  


小松姫の墓は、本堂の裏手に
あります。
石塔の高さ3mあまり、塔身と下壇の石に姫の
経歴が刻まれています。
その終わりに「元和七年三月廿四日施主信之」と
記されています。


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芳泉寺とは



芳泉寺は開創時は常福寺といい、
慶長5(1600)年に真田信之が
菩提寺としました。
信之の後に上田城主となった仙石忠政が
小諸の宝仙寺をここに移し 、
円覚院芳泉寺としました。

小松姫の霊廟も建立されましたが、信之の
松代移封に伴って、霊廟は松代の大英寺に
移されました。

小松姫とは?



小松姫は徳川家の重臣、
本多忠勝の長女で、家康(秀忠の説も)の
養女として、天正18(1590)年
ころ、沼田城主であった信之に嫁ぎます。

この時の逸話が残されています。
家康が若い大名を列座させて婿を
選ばせたところ、家康を前にして
恐れる大名が多かった中に、
最も落ちついて堂々とした動作の
信之を見て、小松姫自身が心を動かされ
進んで信之を選んだということです。

また、有名な武勇伝もあります。
関ヶ原の戦いに際し、真田親子は、
信之が徳川方、昌幸と幸村が豊臣方に
つくことを決めます。
この後、昌幸が上田への帰途に、
信之の沼田城に立ち寄るのですが、
これを小松姫が城門の上に立ち、
敵となった舅の入城を断ったと
言われます。

この話だけですと、なんだか怖い
女性というイメージを受けますが、
関ヶ原の後、昌幸・幸村親子の
助命に際して、真田家と徳川家の
橋渡しをするなど、労を惜しまな
かったと言われています。
徳川家重臣の娘という立場も
あったと思いますが、
大変な役目も力強くこなす
立派な女性だったのでは
ないでしょうか。

徳川方につき、御家存続を第一と
した真田信之に嫁ぎ、その後の
真田家を夫婦で守った小松姫。

素晴らしい方ですね。

まとめ



小松姫が眠る芳泉寺
いかがでしたでしょうか。

観光客目線では、石塔一つかも
しれませんが、そこには激動の
時代を生き抜いた人々の生きざまを
感じることができます。

・・・ところでこの芳泉寺には、
信之の後、上田城主になる
仙石忠政の父、仙石久秀の墓所も
あります。仙石久秀氏は、
墓所がたくさんあるのですが、
『改選仙石家譜』では、芳泉寺の
墓所を正式な霊廟としています。

久秀さんの小田原城攻めの
功績から「仙石原」の地名があると
言われる凄い人なのです。

色々知った上で、寺社・仏閣を
めぐるのも旅の楽しみですね。

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