タイトルから、親子で西軍東軍に
別れることを決する「犬伏の別れ」が
描かれます。
この犬伏の別れの後、
小松姫の武勇伝が誕生します。
小松姫の武勇伝とは?
小松姫は本多忠勝の長女で逸話の多い
人物です。
その一つが、犬伏の別れの後、
沼田城に昌幸が立ち寄った時のことです。
城にはいろうとしたところ、
小松姫はこれを沼田城を
奪おうとする計略であるとして、
開門を拒んだとされています。
2つの書物にすこし違うストーリーが
書かれています。
真田氏の家記『滋野世紀』には
こう書かれています。
※現代語に適当に訳しています※
昌幸が沼田城に夜に立ち寄ると、
案内されたものの、信幸の家の者達は、
妻や女に至るまで甲冑を着て、
刀を持ち、弓、槍をもって迎えた。
信幸は家康の供として出陣しており、
昌幸の名を語るものは曲者である。
一人ももらさず、打ち捕らえよと、
小松姫は言ったという。
昌幸はこの威勢の良さを見て、
大いに感心し、流石武士の妻だと
賛美したという。
凄いですね。
やる気マンマンです。
『改正三河後風土記』には、
こう書かれています。
※現代語に適当に訳しています※
昌幸が「最期の別れをするために立ち寄った。
孫達を一目見せてくれないか」と、
小松姫に願い出た。小松姫はこれを
断り、城下の宿で丁重にもてなした。
その一方で、家臣には、弓や鉄砲を
狭間(城壁に開いている四角または三角
または丸い穴)に配置させて、昌幸の兵たちの
襲撃に備えるように命じた。
これを見た昌幸は家臣に言った。
「あれを見ろ。さすが日本一の本多忠勝の娘だ。
武将の妻は誰でもあのようでなくてはならない」
と。昌幸をもてなすとともに、
城を守らせる指図を褒め称えた。
他にも幾つもの書物に逸話が残っています。
いやはや、これが本当の話なら、
びっくりですね。
こんな逸話を聞くと、きつ~い、怖~い人か
と思ってしまいますね。
でも、本当に怖い人だったのでしょうか?
小松姫は怖い人なの?
武勇伝は他にもありますが、本多忠勝の
娘ですから、人は何でも勇ましいと
考えてしまうのかもしれません。
関が原の戦いのあと、戦った昌幸・幸村は
九度山に流刑になりました。
夫の敵だった昌幸・幸村に小松姫が
お金や物資を九度山に送ったとされています。
※『信幸の妻』と書かれているので、
清音院(こう)が送ったのかも
知れません。
もしも、小松姫が送ったのだとしたら
物分りがよく、優しい人だったのでしょうね。
また、質素倹約を進めて、家計を助けた
良妻だっととも、徳川幕府が開かれて
直ぐの頃は、進んで江戸の屋敷に住み、
真田家の徳川幕府への忠誠を示したと
言われています。
信幸とともに、真田家を支えた小松姫、
様々な逸話があるものの、
私は優しく、賢い人だったのでは
ないかと思います。
なんにしても、次回以降の『真田丸」、
この辺りの解釈も含めて楽しみですね♪
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