「真田丸」8月28日は、関ヶ原の
戦いの直前でしたね!

次回は「犬伏」ですから、
真田親子が、敵味方に別れる
「犬伏の別れ」が描かれます。

そうすると、次々回が「関ヶ原」で、
いよいよ「第二次上田合戦」と
予想できますね。
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犬伏の別れとは?



犬伏の別れとは、真田親子が敵味方に
分かれることを決意した話し合いのことです。

戦国時代最大の悲劇とも言われています。

真田昌幸と、幸村(信繁)が西軍、
真田昌幸の長男、信幸が東軍につき、
親子で命をかけて戦うところ
だったのです。

幸いにして、真田兵同志が、
戦うことはありませんでしたが。

この話し合いは一晩かけて行われたと
言われ、喧嘩別れではなかったといいます。

昌幸が西軍についたのは、
徳川家から、沼田領を後北条家に渡せと
命令されたり、第一次上田合戦を
仕掛けられたりと嫌な思いをしていますから
分からないではありません。

信幸が徳川についたのは、
真田家の生き残り上、より勢力が
強い徳川家を選んだとも、
妻が徳川家重鎮の娘だったからとも
考えられます。

幸村(信繁)が西軍についたのは、
妻が石田三成の盟友の大谷吉継の娘だった
からだと言われています。

現在では、この説が最も有力です。

しかし、私は、西軍が勝つとも、
東軍が勝つともわからない中で、
「真田家が生き残るには、
両軍に別れるのが最善と判断したからだと
思っています。(これは今は
旧説であるとされています。)

もちろん、この判断と、
自分の妻がどの勢力に近いのかも
考えたうえでのことだと思います。

これまで、真田家を存続させるために、
上杉・北条・徳川と、身を寄せる相手を
変えてきた方々ですから、
敵味方に別れようと考えても
おかしくないと思うのです。

なんにしても、親子で戦わなければ
ならないというのはなんとも
凄まじいことですね。


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第二次上田合戦とは?



第二次上田合戦とは、慶長5年(1600年)に
徳川秀忠軍と上田城に籠城した
真田昌幸との戦いのことです。

徳川秀忠は3万8千の軍勢を率いて、
関が原に向かう途中でした。

この大群を退けた戦いとして、
第二次上田合戦は有名です。

戦法は第一次上田合戦によく似ています。

大手門まで秀忠軍の先鋒をおびき出し、
大手門で鉄砲・弓矢による攻撃で、
先鋒を退却させます。

やはり後続の部隊と入り混じり、
進退窮まったところに、昌幸は追撃を
かけます。

さらに幸村(信繁)は、前日に200の兵で
伏兵を形成していて、染谷台の
秀忠本陣に奇襲をかけます。
この時、秀忠自身は、小諸へ逃げ帰ります。

この後、信繁は神川の堰を切って、
染谷台の秀忠軍を濁流に飲み込んで
しまいます。

この時間稼ぎの間に、家康から
秀忠に急いで関が原に来るように、
知らせが届き、秀忠軍は撤退します。

これが、第二次上田合戦の
大きな流れです。

この間に、開戦前に昌幸が助命嘆願を
したり、砥石城を開城した理由など、
ドラマでは描かれることと思います。

なんにしても、「真田丸」には、
再び上田城は登場しますね!

その他、「犬伏」の回では、
小松姫の「あの武勇伝」も
出てくるはずです。

楽しみです。

小松姫あの「武勇伝」とは?


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